今回はタイトルを何にしたら良いのか分からないので変なタイトルになりました。全く関係ない内容です。

今日はニューヨークの専門学校に留学している娘から電話が有り、ふっとニューヨークの事を考えたものですからコラムに書きとめようと思いつきパソコンに向かっております。
我娘は私の仕事柄1歳にならない頃から海を渡っております。その為英語、フランス語などの外国語には違和感が無く成長してきました。
高校の時にオンタリオ州に有りますトロントから車で3時間ほど掛かるチャッサムと言うとっても小さな街に留学しました。親の私は彼女が英語に対しても海外で親から離れて暮す事に対しても何一つ心配もせず送り出しました。
留学して3日目娘から泣きながら電話が来ました。
「全く英語が分からないよー。何を言っているのか、何て答えていいのか分からないから部屋から出るのが怖いよ。」と言う電話でした。実際この内容には驚きました。全く日本人の居ない街で、誰を頼る事も出来ず一人で悩んでいる事を考えると心配になりました。

それから3週間目ぐらいにまた電話が有りました。
今回はとても明るい声で「学校は楽しいし、友達も出来たし、英語も分かるし。」とのことでした。
先回ここに書いたように英語漬けになっている彼女はどうやら高い言葉のハードルを越えたようでした。
それからの彼女の手紙やメールは殆ど英語に成って行きました。

その娘が高校を終えて帰国、1年後には大学に入る為にカナダに戻っていきましたが、大学にはストレートに入れなかったのです。3ヶ月間(1学期間)はESLでの語学の勉強を要求されました。ココではエッセイなどのライティングの修得を要求されたようです。時折届くメールには「毎晩夜中の2時3時までは宿題に追われているから大変。」と言って来ていました。
日本の教育方法は自己の考えを伝える方法を教えません。余り本も読ませませんし、意見を発表させることもしません。ですから、エッセイ・ディベートなどはもっとも不得意とするところなのです。で、アメリカ、カナダのように自分の意見を相手に伝える教育方法のなかで学ぶためには日本人は非常な努力が要求されます。

さてその大学も1年で終了、この夏彼女はニューヨークへ旅立ちました。
私の時代も、娘の時代も母国語ではない言葉で何かを学ぶ事はとっても大変なことなんだと思い出した次第です。
肝心なニューヨークの話ですが、先月TVで9月11日のことについて特別番組が多数放送されていました。ニューヨークであのビルを見ながら生活していた私はこれらの番組を見るたびにとっても複雑な思いになります。
昨年の今頃ニューヨークを訪れた時に思い切って”グランドゼロ”に行きました。
胸が締め付けられる思いと、涙しか出てきませんでした。あそこにはまだ、2000人の方々が眠っておられます。

9月11日のあの日、チャッサムに居た娘を始め、ニューヨーク中の友達に電話を掛け続け、誰一人連絡が取れなかった時の恐怖がTV番組を見るたびに蘇ってきました。
今は観光地化され日本人の多くの方々が訪れております。ただただ、その方たちにあの場所を観光地として終っていただきたくないと願うばかりです。
来月私は再びあの地を訪れる予定でおります。そして、あの日を忘れないでおこうと思います。


2004年10月 執筆
注)ブログシステム移動の為、過去の記事を転記