留学への道(3)
すみません。長い間このタイトルでコラムを書くことを怠っていまして。
こうして現在は皆様の留学のお役に立ちたく色々な方のご相談に乗っておりますが、当時私が留学に憧れ、夢に向かって胸を弾ませておりました時には相談する人が誰も居りませんでした。在席しておりました大学は外国語を学ぶには日本で最高の場所でしたが、それでも留学に関する知識を持っていらっしゃる方は居られなかったのです。
正しく“ブッツケ本番の留学”でした。
カルガリー空港に到着し、入国審査をクリアーし到着ロビーに出て行きました。  ホストファミリーの写真は頂いていたのですが直ぐに見つかるかどうかとても不安でした。そんな危惧も取り越し苦労で、当時は日本人はとても珍しくロビーに居たのは私たちだけでしたのでフレイムさんが私を見つけてくれました。        その時の挨拶で覚えておりますのが自分の名前を言ったことだけなのです。他には何を言われ、何を話したのか全く覚えておりません。これは相手の話していることが理解できなかったからだと思います。

今でこそ笑い話(2)ですが、日本に戻り数年ぶりにホームステイ先を訪れた時に娘のキムに言われた話で「kazuの英語は初めて聞いた時に全く理解できなかった。」この言葉を聞いた時に“留学をしたことは自分には成功だった。”でした。さてさて、初めての外国、昔TV番組で見、映画でしか知る事が出来なかった世界が目の前に有りました。車、ビル、カナダの人、高速道路、驚くことばかりが目の前に開けていました。しかし、驚くことの本番はこれからが始まりだったのです。
今回はフレイム家の紹介を致します。
お父さん・お母さん・娘(キム 小学校4年生)息子(ジェフ 小学校1年生)
家業はホテル経営(ホームステッドホテル、ガーモンモーテル)
ホームステッドホテルは現在もバンフに有ります。このホテルの一角に居住する場所が在り、現在はメリッサと言うステーキハウスに成っております。
私の留学費用はロータリークラブの交換留学制度で行きましたので全てクラブから出ておりましたし、ホームステイはロータリーの一員でありましたフレイム家でした。滞在費はボランティアでしたので無料でした。その代わりと言う事ではないのですが、お母さんがホテルの仕事で忙しかったものですから学校から帰りました後は子供たちのケアーをしておりました。

2005年10月 執筆
注)ブログシステム移動の為、過去の記事を転記