こんばんはm(_ _)m
梅雨に入りました。毎日ジメジメとした日々が続いています。カナダには梅雨がありませんが、時折サンダーストームが来ます。
カナダの天候で思い出すのが、はるか彼方から雨雲が近づいてきて、その下ではシャワーのように降っていることがハッキリと見えていたことで
す。又、雷が綺麗に光っておりとてつもない音を伴って落ちてくる様子でした。ある時丘の上からバッファローの群れを見ていると、雷が一頭のバッファローを直撃し、それが真っ黒になって倒れていました。この光景には本当に驚きました。自然の驚異とはすごい物だと感じました。日本では見れない光景でした。

さて、カナダの生活が始まり学校が始まるまでの数日間は娘のKimの案内でBanff周辺の湖や山を観光したこと、ビクトリアへの旅行に連れて行ってもらったことなどは先日書きました。思い出しましたのがビクトリアへ向かってBanffを出てハイウェーに乗った途端パトカーに停められたことです。それはスピードの出しすぎでした。この頃のカナダはスピードと距離は、まだマイルを使用しておりました。重さもポンドでした。
マイルの事は知りませんでしたので何マイルオーバーしていたのかは覚えておりません。到着早々警察を見ることになるとは夢にも思いませんで
した。日本では車のシートベルトも義務付けられておりませんでしたが、「カナダでは後部座席もシートベルトをするように」とマザーに言われました。

ビクトリアから戻ったある夕方Banffのメインストリートを娘と歩いていると聞き慣れた言葉が耳に入ってきました。「すみません。日本の方ですか?」それは正しく日本語でした。この頃のBanffには日本人は私以外もう一人住んでいるだけで、また観光客も殆ど居ない時代でしたので、まさか日本語を聴く事ができるとは思ってもおりませんでした。
話しかけられた方は新婚旅行でBanffにいらして、ピザ屋を探していたようです。早速Kimにピザ屋を訊いたのですが「pizza」の単語が通じません

今思えば赤面ものです。何度と無く「pizza」を言い直しやっと通じた時には嬉しかったです。
その頃はBanff Ave.からCaribou St.をBow Ave.
に向かった2,3件目にコインランドリーが在り、その横にpizza屋さんが在りました。Banffに居る間にここのpizzaはトウトウ食べられませんでした。場所を教えて少しばかり話しましたが、日本を出てまだ10日ほどしか経っていないにも関わらず、言葉が通じることがどんなに嬉しいか実感しました。そして、初めてホームシックを感じました。
そんな日が過ぎて、とうとう学校が始まります。曜日によって授業時間が違うために私の日課も違いました。朝から授業が始まる時には朝食後、
皿洗い機に食器を入れ、サンドウィッチのお弁当を持って出かけます。学校が終わって帰宅してから家事をします。授業が午後からの日は朝、掃除や洗濯をして、昼食を食べてから学校へ行きました。自転車に乗って坂道を登っていくのは大変でしたが、空気は新鮮ですしロッキー山脈に囲まれて通学することはトテモ気持ちが良いことでした。
この頃のBanffは今よりももっともっと田舎で車道には車は殆ど走っておりませんし、歩道には数人しか歩いていませんでしたので自転車で通学す
ることは楽しかったです。
この頃の私はやっと夢の一歩を踏み出したと言うところでしょうか?カナダ行きの飛行機の中で「夢が現実になったらその先には何があるのかな
?何も無いのではないか?」と考えました。でも「夢の先には違った新たな夢が有る。」と感じ始めたのはこの頃でしょうか。  Kazu