日々の生活の中で

毎日学校と家との往復が続きました。さすがに自転車で坂を上っていくのは大変でした。
しかし、もっと大変だったのは英語での授業についていくことでした。「ついていく」と言うものではなく、
ただただ毎日学校に出席しているだけと言う感じでした
先回にもお話したように私以外の生徒は何ら問題なく英語を理解します。そう、私だけが理解できないのです
この頃には電子辞書などと言う便利なものは無かったので、紙辞書で分らない単語を早急に調べなければ成りません。
でも、1単語を調べている間に次の分らない単語が出てくるしまつです。そんな事が永久に続く感じがしました。

他の人たちが見かねたのか、ノートを見せてくれたりその日の要点を教えてくれたりと助けてくれるようになりました。
もちろん睡眠が2時間と言うことは相変わらず続いておりましたが、学校へ行き他の国から来た人たちと話しをすることがとても楽しくなりました。そして、友達と言う人たちが出来始めたのです。いまでもその方たちとの関係は続いております。

家に帰って家事、ベビーシッターをし、食事後の家族団らんの時には極力家族と共に過ごすことを心がけました。
それが英会話が少しでも早くできるようになると思ったからです。

家族が何を話しているのか分り始め、私が少しずつでも話すことが出来るように成ってきたころに、他家で開かれるホームパーティーに連れて行ってくれるようになりました。
そこで知り合った方の一人にプロのスキーヤーがいらっしゃり、その方の生徒に日本からプロのスキーヤーを目指している方が居る事を知りました。星野さんと言う方で栃木県出身の方でした。星野さんは今でもカナダにいらっしゃいます。
星野さんの家に数回遊びに行き、カナダのアパートは全て家具つきで、これを「Furnished」と英語で言うことを知りました。やはり英語能力がとても足りなかったのです。丁度日本語が恋しくなっていた頃でしたので、何時間でも話をしておりました。母国語と言うものがありがたいものだと再確認しました。

Banffが暖かくなり始めた頃、月に一人ずつぐらいですが日本の方を見かけるようになりました。ある日本人男性はアメリカのマサチューセッツ工科大学に留学するためにアメリカ大陸に入りカナダを観光しながらマサチューセッツまで行かれる方でした。きっと今頃はどこかの大学で教授に成っていらっしゃることだと思います。

また、ある時は世界中をバックパックしながら旅行している方で、ヨーロッパではビザが無くても仕事が出来るので日本レストランで皿洗いをしながらヨーロッパ中を回ってきた方にも会いました。カナダでは私が行く前年まではビザが無くても働くことが出来ましたし、永住権を取ることもとても簡単だったようです。

次にお会いした方は自転車で世界一周をしている方で、日本の新潟から船でロシア(この頃はソビエト連邦)に入り、そこからアジア、ロシアを回ってヨーロッパに入り、ヨーロッパ中を走り船でアメリカ大陸に入られたようです。この頃は中国へは特別な理由が無い限り日本人は入れませんでした。私も日本の大学に居た時〈仏教交流〉と言う理由をつけていただき北京のみに行けました。

このような方たちにまだ見ぬ世界を色々教えていただき私の夢はドンドン広がっていくばかりでした。
“いつか必ず世界中を回れる人になろう”それがこの頃の私の夢と目標になっておりました。
まだまだ色々な方にお会いしましたが次回以降で他の皆様のことを書かせていただきます。  kazu