日本からハワイで給油、ロサンゼルスでカナダ(カルガリ)への飛行機乗り継ぎに1泊、このホテルで自分の英語が通じた時は大感激!

次の日、ロサンゼルス空港から飛行機に乗り途中2都市を経由、カルガリに約10時間後に到着。そして、ホームステイ先であるフレーム家と会う。ここまでは、夢と希望で胸が張り裂けそうでした。

空港で家族と会い車に乗って出発→この瞬間、私の英語に対する自信と夢は消え去りそうになりました。英語が分らない、通じないと言う現実を突きつけられたのです。

さて、学校に行った初日は言葉が分らない→何をしているのか分らない→何をするのか分らない→どうしたらよいのか分らない→居場所が無い→脳だけが疲れ果てて帰宅
2日目も同じ、3日目も同じ・・・・週末が来てホットする。
これが2週間以上続きました。


3週間目、「これでは何のためにここまで来たのか分らない。何とかしなくては」と思い、取り合えづは学校側に相談することにしました。
この頃は個人個人にカウンセラーの先生は居ませんでしたので、授業を担当していらっしゃる先生に自分の今の状態を話しました。
モチロンここまでの間に他の国からの留学生が助けてくれていましたが、自分で納得できるまでは至っておりませんでした。

相談後の変化は、次の日に何を勉強するのか、この週に何処まで進むのかを各授業後教えていただけるようになりました。そして、私は当分の間英和辞典を使用することの許可も出ました。


その後の生活はとても忙しいものになりました。学校から帰り子供たちの世話をすること、家事の手伝いをすること等は手を抜くことが出来ません。自分の時間が出来るのは子供たちが寝た後です。子供たちは9時になると必ずホットチョコレートを飲みベッドに向かいます。
子供たちが眠ってくれるのが9時半過ぎぐらいです。その後自分の勉強を始めれるのが10時過ぎ、1ページの予習をするのに最初は2時間近くも掛かりました。モチロン、数ヶ月して慣れてくると1ページの予習時間は数十分になって来ました。

しかし、ベッドに入ってから私が本を読むことが日課となっておりました。これはお母さんが英語の本を読み聞かせるのは私の英語の勉強にもなると勧めてくれたものですので辞めるわけにはいきません。

とても面白いことに、この予習を始めて1週間ほど経ったある日、日本に手紙を書こうと思い立ち、便箋に文章を書き始めて自分の手が止まりました。私は漢字を書くことが出来なくなっていたのです。例えば「学校へ行く」学校?行く?「子供と遊ぶ」子供?遊ぶ?「行く、子供」こんな簡単な文字を書くことが出来ないのです。

手紙自体を日本に出す余裕は余り無かったので滞在中3回ほどしか日本語で手紙を書いていませんが、その手紙を今見ると笑えてきます。全てが平仮名なのです。

予習を始めて教科書内容は分るようになりましたが、学校の授業で話されている言葉が分るものではありませんでした。
その後、「どうしよう?どうしよう?」と悩む日が続くのです。でも、心の中の夢だけは捨てることは出来ませんでした。この続きは次回書きます。  Kazu