東京の某外国語大学に在籍しておりました時には留学費用が少しでも安価なものが無いかと調べたことも有ります。しかし、この当時は1ドルが300円近くもしたのでどうしても費用も高くなりました。そして奨学生制度も少なく、色々な面で条件も厳しく諦めました。

そんな頃、同じ学科で同じ学部の友達が「〈student times〉と言う新聞に留学生の募集が出ていたので受験しようと思う。」と言ってきました。student timesは今でも有ると思いますが、学生用に英語で書かれた新聞で、日本のことや外国の記事が載っております。学生用ですので英語も一般的な英字新聞よりは簡単です。この中に「国際ロータリーが交換留学生を募集している」と有りました。費用は航空機運賃を含めて半年間の滞在で30万円でした。

この頃はコーヒー一杯が120円ほど、一般的な職業で初任給の総支給が10万円はありませんでした。私のアルバイト先はとある掃除を請け負う会社でした。大手の保険会社や貿易商社のビルの中を掃除します。

ごく一般的なアルバイト賃が350円ほどの時代に掃除のアルバイト賃は500円でした。この500円に夜食とお風呂が付いています。仕送りが無い私には大変好条件でした。

ちなみに東京での生活費は6畳一間バストイレ共同で家賃は30000円~35000円当たりでした。私は高円寺で3畳一間、バス無し、トイレ共同のアパートに住んでおり1ヶ月の家賃は9000円でヶ月の生活費は25000円(アルバイトでの収入)と12000円の奨学金でした。そんな時代の30万円は大学の年間授業料より高く大変な金額でした。

この頃の大学は留学に辺り、いくら外国語学科でも留学中に取得した単位を認めてくれませんでしたので、帰国後は再度出発前の学年に戻るしかありませんでした。これは大学生を5年間しなくてはならないと言うことです。また、休学は一回の休学が2年間しか認められず、合計の休学は4年間まででした。
この時代の留学と言うものは現代の北極や南極に住む感じで夢のまた夢の時代でしたし、海外に行く人たちも殆ど居ないし、新婚旅行で海外に行くことすら考えられない時代でした。「外国は危険!外国に行けば何時殺されるかわからない。」そんな考えが誰にでも有りました。少なからず私にも危険は覚悟しなくてはいけないという思いがありました。
それでも何とか親を説き伏せ、留学費用を出してもらえることになりました。

夢への通過点を一つ手に入れることが出来たのです。