4月18日、私にとっては忘れることが出来ない日です。私の人生を変えた日と言ってもいいです。

この日私は旅立ちました。何も知らず、ましてや怖さという言葉も知らずたった一人ではるか彼方のカナダへ。あれからほぼ40年です。

何故4月18日が過ぎたのにブログを書いたのか?と言いますと、4月18日はあの頃唯一国際空港であった羽田から飛び立ち、日本時間の19日ハワイ経由(給油のため)ロサンゼルスに到着、ロサンゼルスで1泊、そして20日人生を変えるカナダに到着したのが今日だからです。

皆さんにとっては俄かには信じられないでしょうが外貨を購入するためにはパスポートと航空券又は旅行会社発行の旅行引き受け書と言う物が必要でした。そして、地方の小さな銀行では両替が出来ず大都市にある大手の銀行か、羽田空港の為替両替所しか外貨を手に入れることは出来ませんでした。カナダドルが日本で購入することが出来るかどうかも知りませんでしたので、先ずはアメリカドルに変更し、カナダに到着してからカナダドルにしました。私が持っていくことが出来た金額は10万円その当時の為替レートではアメリカドルで400ドルにも成りませんでした。この金額で1年間カナダで生活するしかありません。もっとも、ホームステイ先での生活にお金は必要有りませんでしたから約400ドルは純粋なるお小遣いです。

実はこの時は銀行でも両替が出来ることを知りませんでした。銀行でも両替が出来ることを知ったのは、留学を終え帰国してから5年経ちその頃勤めていた英会話の学校からロサンゼルス、サンフランシスコの学校見学と研修に派遣された時でした。

東京の大学に行っていても羽田へはどうやって行くのかも知りません。中学生の時の修学旅行で羽田を訪れて以来一度も行ったことが無いので全く羽田に関しては知識はありませんでした。同じ大学の東京にもともと家がある友達に羽田への行き方を尋ね浜松町からモノレールに乗り羽田へ向かいました。

今思うとこの頃の羽田はトテモ小さく近代的という言葉は遠いものでした。でも、留学だけではなく海外渡航ということ自体が初めての私にとっては羽田空港はトテモ大きく「ココから世界への道が有るのだ!」という感動を噛み締めることが出来た場所でした。

羽田空港では日本中から留学試験に合格した人たちが一箇所に集められ1年間有効の往復航空券を渡されただけでその他の説明も一切無く、ホームステイ先の詳細も名前と家族構成、家族の写真だけを渡されました。今思うと事前に何を知りたいのか?何を知っているべきか?も分らなかったのです。出国審査も入国審査もロサンゼルスまでの所要時間もカナダ行きの飛行機の乗り換え方法も、ロサンゼルスのホテルへは空港からどのようにして行くのかも知りませんでした。全てぶっつけ本番!!

以前にも書きましたが、この頃はカナダに関するガイドブックも有りませんし、コンピューターも有りません。周囲にカナダを訪問した方も居りません。ゼロからのスタートです。ただ、北極が真上にあり、北海道より上に位置するカナダは寒いだろうと想像はできましたが、夏に関する想像は出来ませんでした。カナダへは何をもって行けばいいのか?と悩み、分らないまま日本の四季と同じで冬は寒いだろうと結論付け、冬物を多めに持っていくことにしましたがスーツケース一個に詰めれる量は限られましたので、せいぜい1週間ほど着替えの量でした。

この頃のスーツケースはキャスターなど付いていませんでしたので持ち上げて運ぶしかありません。このスーツケース一個は帰国1ヶ月前のアメリカ大陸半周にも共をしてくれました。

海外へ出かけることに慣れている今としては当時は結構無謀なことをしていたと感じます。知らないと言うことは恐ろしい反面何事にも囚われず夢だけを追って進むことが出来る良いことなのかもしれません。

英語を殆ど話すことが出来ない私がハワイの空港でロサンゼルスの空港でどのような行動をしたのか次回に書きます。