航空機の中で何時間過ぎたのか分からないまま、眠ることも出来ずただただボーとしておりました。窓側の席の方がブラインドを開けたのでフット外を見ると雲海が見え、そのまま見とれておりますと太陽が昇ってくるところでした。太陽の灯りに照らされた雲は綺麗でその荘厳さに感動の涙が出そうになりました。暫らく外を見ていると「間もなく当機はハワイ・ホノルル空港に到着します」と、アナウンスがされました。実はこの時までハワイに立ち寄ることなど知らなかったのです。さらに知らなかったことはこの頃の航空機は長距離飛行をするだけの燃料を搭載するだけのタンクは無く直接ロサンゼルスまで飛ぶことが出来ず、どこかで給油が必要だったのです。

もしこの時代日本からニューヨークヘ行く場合はアラスカ(アンカレッジ)経由でニューヨークヘ行くしかありませんでした。もちろんロサンゼルやサンフランシスコ経由でニューヨークへいくことは可能でしたが、他社の航空機に乗り換えることになります。日本から同じ機で行く場合はアンカレッジ経由で行くしかなかったのです。

余談ではありますがヨーロッパ方面へは同じようにアンカレッジ経由、モスクワ経由、アジア内や中近東経由などがありました。私がフランスへ行く時には香港経由、インドのデリー(この地名は定かではありません)とサウジアラビアを経由して20時間以上掛かって到着しました。最も安い航空機でアエロフロート航空・モスクワ経由でした。この頃はソビエト連邦でしたので空港から外に出ることは許されませんでしたし、到着間際に窓を開けて外を見ることはできませんでした。ほんの20年ほど前までは韓国や台湾に行く場合も到着間際に窓を開けて外を見ることはできませんでしたし、日本の雑誌も持って行くことはできませんでしたので、日本の空港を出る時雑誌は没収されました。

今の時代アメリカへ行く場合は最初の寄港地で入国審査が有ります。しかし、この頃はハワイがアメリカ合衆国内にも拘らずハワイでの入国審査は有りませんでした。単に給油目的だったためでしょう。

4月18日に日本を飛び立ちましたのでもちろんハワイも同日です。少し肌寒い日本を飛び立った私は春のコートを着ておりました。ホノルル空港内の中庭へ出ることは出来ましたので航空機から降りた乗客の皆さんは給油の間色とりどりの花が咲き誇った庭を思い思いに散歩を楽しんでいました。私はといいますと散歩を楽しむといいますより、日本を出る前ハワイのことは多少なりとも知っておりましたが、余りの綺麗さ余りの温かさに驚くばかりでした。楽園というものがこの地に有るなら多分このような場所だろうと感動しておりました。“自然ってスゴイ!!”という思いだけでした。

さて再び航空機に乗り込み一路ロサンゼルスと飛び始めました。ハワイからロサンゼルスまでの所要時間などはしりませし、ハワイに朝到着した飛行機が数時間飛んだだけでロサンゼルスに到着した時には夜になっているのには驚きました。実はアメリカ国内で時差があることなど知らなかったのです。恐らくは中学校で勉強したはずですが全く覚えていなかったのです。今考えると全く赤面物です。

とにかくもロサンゼルスに無事到着しました。さて、この後は入国審査→ホテル移動などですが、次回に書きます。

夢を成し遂げるまでの長い長い道のりが始まったばかりです