夢を追いかけていた私が居た!!

前回の佐藤氏の「英語を英語として身につける」方法の続きです
佐藤氏は「英語を日本語から瞬時に英語にするのはとても難しいから、英語を英語として身につけ、日常生活の一部にすることが最も大切です」と仰っていらっしゃいます。

全くその通りなのですが、どのようにしたらそれができるのかはなかなか分かりません。もちろん英語圏へ行き英語を使って生活をすれば出来るようになることは分かっておりますが、これはなかなか出来ることではありません。

私は「英語を英語で考える」ことがとても大切で有ることは英語を学習し始めたころには知らなかったことで、学んで行く内に分かってきたことでした。

もちろん佐藤氏には始めからお分かりになっていたことでしょうが、私はカナダで生活を始めるまでは考えもしなかったことでした。

留学をする頃は東京の大学で英米語学なるものを学んでおりましたが、英会話の授業に対して本で英語を学習することのほうが重要視されておりましたし、英会話の授業でも先生はスペイン語が母国語の南米の方でした。

この時代、輸入本を購入したい場合は東京新宿の紀伊国屋まで行き注文を出して届くまで待つしかありませんでしたし、とても高価でした。私は大学時代に教授に言われ本を1冊購入したことが有りますが、東京で1か月の生活費が5万円だった時代に2千円以上もしたことを覚えております。その後はどうしても購入することが出来ませんでした。
佐藤氏は高校のころからアメリカ映画の対訳付台本を買われ丸暗記されたり、在日米軍向けの放送であるFENを聴いたり教会のバイブルクラスに通ったりされたようです。当時はこのようにして英語を学ぶしかなかったのです。

私の方法はラジオと文通と英語学生新聞(student times)でした。
中学の英語教科担任から「ラジオ英会話という番組が有るので聴くように」と教えていただきました。早速、親に頼み込んでラジオを買ってもらいましたが、現代のようにパソコンが有るわけではなく、録音機能も無いので番組を聴き逃すわけにはいきません。始まる前にはラジオの前でスタンバイしているのが日課となりました。

その後、高校生になりアルバイトをしてテープレコーダーを買い、マイクをラジオに向けて録音しておりました。そんな些細なことでも世の中が進歩し、自分も進歩しているように感じたものです。
以前どこかで書いたかもしれませんが、中学で英語の授業が始まり、英語が使いたくて堪らなくなりました。その頃ペンパル協会と言うものが在り、この協会に入会し文通相手を紹介していただきました。

1人目はアメリカ、カリフォルニアのカーメルにいらっしゃる同じ年齢の女の子、2人目はフランスの2歳年上の女の子でした。

フランスの文通相手はお互いに母国語でない為か1年ほどしか続きませんでした。
アメリカからの封筒に時折小さな、小さな夢が入っておりました。ある時は1セントコイン、ある時は1枚のチューインガム、住んでいる町の写真、季節ごとに送られてくるクリスマスカード、感謝祭カード、復活祭の様子。全ては夢を掻き立て、まだ見ぬ外国への憧れを募らせる物ばかりでした。
「あ~~外国へ行きたい。アメリカを見たい。」その思いは英語を覚えることに繋がっていきました。

中学生の時、小遣いでstudent timesという学生用新聞を毎週購入しておりました。これは対訳付で、学生向け内容の世界中のニュースが載っており、時にはその当時の留学方法などの記事も載っておりました。新聞の活字が見えなくなるまで大事な英文に赤い線を引き、覚えておきたい記事には大きな丸で囲んでおきました。実は私の留学もこの新聞の下に小さく載っていた記事が実現をさせてくれたのです。
高校の時クラス担任が英語教科でしたので、世の中に英語検定試験と言うものがあり、大きな資格となることを教えていただき、英語大好き生徒が集まり英語検定対策の勉強を教えていただいておりました。先ずは高校生の最初の目標が定まったものでした。また、これも夢への一歩でした。