夢を追いかけていた私が居た!

小学校3年生の時足の骨を折りました。我が家にテレビが来たのはその時です。
その当時はどこの家も貧しくテレビ、電話を所有している家はまれでしたので、テレビが来る以前は
ご近所でテレビを所有しているお宅に町内の子供たちが集まり見せていただいておりました。

電話もご近所の電話を借り、誰かから我が家に連絡を取りたいときはご近所の電話にかけていただき、ご近所の方がわざわざ我が家まで電話がかかってきていると呼びに来てくれました。今時と違いこの頃はご近所の緊密度は良好でしたし、電話代金は3分で10円ではなく、1回が10円でしたのでいつまで話をしても金銭的には問題は有りませんでした。

テレビが我が家に来たときは足の骨折で思うように行動できないこともあり朝からテレビを見続けても怒られることは有りませんでした。
テレビには現在ほど放送番組のチャンネルが無く限られた番組しかありませんでしたが、見たい番組はゴールデンタイムに放送しており家族全員でアメリカからやってきた番組にくぎ付けに成っておりましたし、クイズ番組では海外に関する問題が出ると答えを知りたくてウズウズし、見たこともない家電の賞品に目を輝かしておりました。

以前に何度も書きましたが、最も好きな番組の一つは「兼高かおる世界の旅」で、ある日はオーストラリアのアボリジニとの交流、またある日はモロッコでバザールで買い物、などなどと世界中をくまなく旅をし英語でコミュニケーションを取られるのを見て改めて「英語を話すことが出来るようになりたい」と、思いました。
海外で暮らしたい夢と、未だ見たことが無い世界を旅したい夢が私の夢の二本立てと成っていきました。
成長するに従い当時で言います‟スチュワーデス”今で言う‟AC”に成り、世界中に行くことが出来る職業に就くことが具体的な夢になりました。
中学の修学旅行で東京へ行き羽田を訪れた時には「ここは私の聖地」だと感じました。
スチュワーデスは外資系の航空会社を受けましたが、アメリカに住まなくてはならないという理由で親の猛反対により断念しなければなりませんでした。

兼高かおるさんの影響は大人になってからも続きカナダから帰国し、日本の大学を卒業するころには自分がカナダに居たころ訪れた色々な場所を少しでも日本の方に見ていただきたいと思い、兼高さんが主宰していらした旅行業専門学校の通信教育を受け「一般旅行業務取扱主任」の資格を取得しました。
1年目の資格取得は不合格で夢かなわず!2年目で取得しましたが、この2年間の勉強は自分の目標となり、帰国後の夢を果たすための一環となりました。
惜しむらくは、旅行業に就くことが出来たのは資格取得後25年も経ってからでした。夢をあきらめなかったと言うことでしょうか???