夢を追いかけていた私が居た!

 

そこで留学協会の方に事情を話し、親の承諾書を親に成りすまして書いていただきました。次の日にそれを持って再度申請所に行ったのですが「この承諾書は本当に親が書いたのですか?」と尋ねられました。「はい、そうです。親が東京まで来ているものですから。」「それなら親御さんを連れてきなさい。」と言われました。現代では地方から東京に気軽に出て行くことが出来ますが、この時代に新幹線なり公共の乗り物なりで東京まで行くことは一般家庭ではとても珍しいことでした。感覚的には今の時代で海外旅行に行くような大旅行でした。それゆえ上記のような会話となり、正しく親が東京まで来ているかどうかを疑ったわけです。

この時代は先に書いたように愛知県の小さな町から数時間をかけて東京まで出ていくことは何か大きな行事でもなければ先ず無いことでした。中学校の修学旅行で東京へ行った時が初めての東京でしたし、この時代の修学旅行では旅行先に親戚が居れば親戚に会うことも、彼らと一緒に出掛けることも許されておりました。それほど旅行と言うものが一般的では無く大事業だったのです。

あまりの厳しさと面倒臭さに私は東京でパスポートを取ることを諦めました。

冬休みに入って直ぐ地元に帰り、そこでパスポートを取ることにしました。

地元と言いましてもパスポート申請には電車に乗り1時間かけて名古屋まで行かなければなりませんでした。しかし、名古屋での申請は住民票を東京から地元に戻して行いましたが、東京のような面倒臭さは全く無くとても簡単なもので、申請書と必要な書類を出して終了しました。あまりの簡単さに気が抜けてしまったほどです。

人生で初めてのパスポートは現在も取ってありますが、笑えることに名前のスペルを間違えているのです。日本式ローマ字で書いていたのです。誰もパスポート申請所の方でさえ名前はヘボン式ローマ字で書かなくてはいけないことを教えてくれませんでした。

この事によってこのパスポートが有効な5年間は間違えたスペルで全てのサインをしなければならないことになりました。

そうそう、この時代のパスポートは5年間有効のものと、1回限りのものとの2種類でした。

初めてのパスポートですが皆さんのパスポートと違っている場所を開いておきました。見ていただくと分かりますが、東ドイツ、北朝鮮、北ベトナムには入れなかったのです。現在は東ドイツや北ベトナムと言う国は有りませんが。

passport1号