夢を追いかけている私が居た!

 

ほぼ40年も昔の事ですので日付ははっきりと覚えておりません。しかし、何をして何が有ったかは覚えています。多分自分の人生の中で最大の変化でしたので、記憶の引き出しに仕舞われているのだと思います。

イースターも終わり、そろそろ学校が始まろうとしている頃でした。お母さんに何か言われたのですが、英語能力不足で1つ1つを理解できませんでした。

「明日から旅に出るので支度をしなさい」と言う事だと思いました。結果として旅に出ることは正解でバンクーバーと言う単語は分かりました。しかし、正確にどこに行くのか何をするのかは理解できませんでした。

到着してから分かったのですが、最終目的地はビクトリアでした。しかし、その頃はビクトリアがカナダの何所にあるのか、そこがどのような都市なのか、歴史はどのように関係しているのかなどは全く知りませんでした。

そして旅に出て一つ一つの目的地に到着するたびに分かったのですが一軒はお父さんのご両親、もう一軒はお母さんのご両親を訪ねました。

お父さんのご両親と4月 おじいちゃんの牧場で

お父さんのご両親の家は牧場で、おじいちゃんたちと撮った写真と牧場の馬に乗せて頂きその馬です

 

バンフの街を出て、国道1号線に乗って直ぐパトロールカーに停められました。カナダの交通ルールを知らない私はなぜ止められたのか分かりませんでしたし、警察官の話す英語が早すぎて何1つ理解できませんでした。後からお母さんとお父さんの話を聞いていると1つはスピード違反、2つ目は座席ベルトを着用していなかった違反だと分かりました。

日本の車にも座席ベルトは在りましたが、座席ベルトを着用しないことに対して法律違反にはなりませんでした。しかし、カナダでは既にこれが違反だったのです。これも日本とカナダの違いです。

今では座席ベルトをしないとアラームが鳴りますが、この頃の日本では座席ベルトが義務ではなかったので、ベルトを着用しなくてもアラームは鳴りませんでした。この時運転をしているお母さんは座席ベルトを着用していなかったのでアラームは鳴っておりましたが、暫くすると鳴りやんでしまいお母さんはそのまま運転をしていたのです。

警察官から解放され、1号線をひたすら走りました。どこかで1号線を外れたようですが、この頃の私は地理的なことが分からずただ車に乗っているだけでした。

物質的にできなかったのですが、カナダに行く前にもっとカナダの事を予習しておけばよかったと何度も後悔しました。

余談ですが、この時代のカナダはスピードや距離はマイルで、長さはインチ、重さはポンドを使用しておりました。私が居る間に日本と同じなりましたが。