夢を追いかけている私が居た!

 

ビクトリアの港に到着し車に乗り込みましたが、車がどうしてビクトリア港にあるのかの疑問も湧きませんでした。多分、家の人たちはフェリーに乗りビクトリアへ行くことは説明してくれていたのだと思います。単に私が英語を理解していなかっただけでしょう。

 

港からホテルに行きました。ホテルはビクトリア港の前に在りますエンプレスホテルを見ることが出来るモーテルでした。この時点では「モーテル」について理解しておりませんでした。フレーム家がモーテルを経営していることは後に家の壁塗りをする時にモーテルに家族で数日住むことになり知りました。

ビクトリアに来た目的はお母さんのご両親に会う事でした。

お母さんのご両親はその頃の日本にはまだ無かったシニア専門のアパートに入居されておりました。そのシニアシチズン用アパートは一般の物とは何も変わらずとても快適な7階建ての建物でした。既にこの時期は日が沈むのが遅くなっておりましたので、何時にビクトリアに到着したのか分かりませんでしたが、到着後直ぐにご両親に会いに行きました。

夕食を共にすることになったのですが、アパート内の色々な方たちがお出でになりテーブルでは座りきれません。そこで子供達+私は学校の簡易テーブルのような机で食事となりました。人数が多い為なのか全員が冷凍食品の夕食で、この時初めて冷凍食品を食べました。

この頃の日本では現在のような冷凍食品は売られておりませんでした。理由の一つとして未だ冷蔵庫は冷蔵庫としての機能が主で冷凍庫は小さなものでしたし、専業主婦の方が多く冷凍食品を必要としておりませんでした。

現代のような冷蔵庫が人の身長より大きい物は日本では一般家庭には存在しておりませんでした。

初めて食べた冷凍食品は子供の時にテレビ番組で見たホームドラマに出てきていたのでチョットした感激物でした。

テレビで見た物の1つにロッキングチェアーが有りますが、それもおばあちゃんの家で見ることが出来ましたし、座ることもできました。これも感激物でした。

この先も感激物が続いていきました。