夢を追いかけている私が居た!

 

夏のにぎやかさと華やかさが終わりを告げようとしている8月の終わり、学校も無く

家業のホテルも宿泊客が少なくなり、レストランの厨房で働いていた中国の方たちが一人、また一人とカルガリに戻っていきました。夏の終わりとともにホームステッドホテルは閉ります。7か月ほどの休眠状態になります。

バンフの町の賑やかさは日々無くなっていき、学校ももうすぐ終了しますので私はこの先何をやればいいのか悩み始めていました。

そんな頃、邦子さんから電話がかかってきました。「ピンチャクリークに来ない?」

と言うものでした。ピンチャクリークはバンフと違いカナダの一地方の町で人口は3000人ほどしかおりません。カナダの中では都会であるバンフから本当の田舎町に移動することを考え始めました。

国際ロータリーでの交換留学制度は半年の期限付きでしたのでこのまま大学を継続するためには授業料を自分で支払わなければなりません。そして、ホームステッドホテルが休業となることでガーモンモーテルの営業だけとなり、お父さん1人だけの仕事となりますし、フレイム家も小さな家に引っ越します。

もちろん、お父さんもお母さんも私に出て行ってほしいとは考えておりませんし、引っ越しをしても一緒に行くことはできます。

しかし、この先バンフに居ても学校には行くことはできませんし、ホテルを休業すると言う事は私が学ぶことが出来る場所がなくなります。単にカナダに住むためだけに残りの半年間を過ごすことに抵抗を感じました。

この時点でスキーやスノーボードが大好きならバンフに残っていたと思いますが、残念なことに私は海派で、スキーはやりますがクレージーと言うものではありませんでした。

ピンチャクリークでは日常生活をしながらレースブリッジのカレッジに聴講生として通学することが出来ることを邦子さんから聞きました。

受け入れてくれる家庭は邦子さんのホームステイ先のお母さんの妹さんがピンチャクリークで目と鼻の先に住んで居り、そこでホームステイをしながら学校に通うことが出来ると言う事でした。労働や家賃を支払うと言う事も有りませんでした。単に家族の一員として受け入れていただけると言う事でした。

色々考え、悩み、そして決断をしました。