夢を追いかけている私が居る!

 

ここピンチャクリークにはたくさんの日系の方が住んでいます。

彼らのご両親が日本から夢を求めて渡って来られ、材木事業の盛んなこの一帯に住むようになったようです。そして、お互いの伴侶を見つけ都会のレースブリッジに引っ越して行った方々も居らっしゃるようでした。

その日系人の中にはピンチャクリークで小さなスーパーマーケットを営んでいる方がお見えになり、偶に邦子さんとともに遊びに行っておりました。このボブさんはご両親の事やカナダではどうやって暮らしてきたのかを話してくれました。

また、ローレーッジとフリッツが経営している材木工場で働いているロブさんはご家族がレースブリッジに住んで居り、お一人でピンチャクリークに住みながら仕事をし、週末にご家族の所に帰ると言う事でした。

あとお1人ケンさんと言う方がいらっしゃいます。この方はやはり材木工場で働きご家族もピンチャクリークに居らっしゃいますが、数年後にお訪ねした時には子供さんたちは大学のある街に引っ越されておりました。

ボブさんと云えば忘れられないお話が有ります。ある日、邦子さんとスーパーマーケットまで遊びに行きました。スーパーマーケットと言っても町の八百屋さんのような感じでとても小さなお店でしたが、お客さんはいつもたくさんいらっしゃいました。

ボブさんが暇な時間を見計らって遊びに行くのですが、この日はご家族の事で面白いエピソードを話してくれました。

ご両親は英語を話すことが出来ると言っても困らない程度だったそうです。ボブさんが小さなころ店の手伝いをしている時に「裏に行ってバケツを持って来てください」とお母さんが言われたそうです。この時、ボブさんが「オッケー」返事をしたそうです。その返事を聞いたお母さんが「桶では無くてバケツです」と怒られたそうです。これは実話なのですが、この頃の日系の方はカナダで生活をしていても流暢に英語を話すことがなかなか困難だったようです。

この様に色々なエピソードを聞かせてくれ、かつての移民の方々が困難な生活を送っていたことを思い起こし、私が留学した頃は色々な面で良い時代だったと認識しました。