夢を追いかけている私が居る!

 

英語でこのような簡単な事を言えないことを今の方たちには理解できないでしょうね。

学校の教科書で習う英語には日常的な会話は載っておりませんし、日常的な会話を教えてくれる方も居ませんでした。

一般的な会話の学校は個人経営で日本の方が英会話を教えており、彼らは滅多に海外へ行ったことは有りませんでした。何故なら、日本の国はまだまだ貧しく1米ドルが360円の固定の時代がやっと終わったころでしたので、極一部の方たちが海外へ行くことが出来ただけでした。

英会話を教えている方々自体当時の大学などで勉強した英語力で教えていましたので、ごく普通にカナダやアメリカで使われている英語が話せたわけではなかったのです。

先ほどの高校の教科書では有りませんが「家に居る子供たちと遊びながら英語を覚えています。子供の英語は簡単で理解しやすいから。学校が始まり自転車で行っています。」と言う内容を書こうとしましたがこの中の漢字を書くことが出来ませんでした。

何かの本で「夢を英語で見ることが出来れば英語が話すことが出来るようになったと言う事です。」と言う事が書いてありましたが、まさに1か月が過ぎたころ夢の中で英語を話している自分が居ました。

これも以前書きましたが「ホームステイ」と言う言葉も存在しませんでしたので、ホストマザーやホストファーザーと言う言葉も有りませんでした。極まれに日本の方が旅行でバンフに来られますが、これらを表す言葉が無いので自分の立場を説明するにはとても長い文章に成っていました。

それから、お金を日本から海外に送る手段も有りません。在ったとしても何も知らずに何も教えられずに行くしか無かった時代の私たちにはその方法が分かりませんでした。しかし、夏休みに入ったころ、日本の方がアメリカで留学するために旅行をしながら東海岸へ向かっている途中でバンフに寄られ、偶然に声をかけられました。その方と色々な話をしている時日本からの送金方法を教えていただきました。この当時は郵便局で為替を作り、それを手紙で送ってもらい郵便教に為替を持って行けば現金化してくれるとのことでした。

為替を送ってもらい現金を手に入れることが出来たのはとても助かりました。明確には覚えてはいませんが300カナダドルぐらいだったと思います。一杯のコーヒーが50セントほどで飲めた時代、B&Bが一泊12ドルぐらいで泊まれた時代の300ドルはとてもおおきな金額でした。この300ドルはバンフで友達になりましたワシントンDCから旅行に見えていたトシコちゃんを訪ねてワシントンへ行く時のバスの1か月用チケットを買うお金に成りました。