夢を追いかけている私が居る!

 

当時のバンフにはスキー留学をされている星野さんしか日本の方は居らっしゃいませんでした。しかし、ピンチャクリークでは私がお会いしてお話をした方は3名が住んでいらっしゃいました。聞くところに寄りますともう少しの方がいらっしゃったようです。

以前に書いた方たちの事ですが当時はご家庭を持ち子供さんたちは私たちと同じぐらいの年齢の方たちでしたので今ではお孫さんが居らっしゃる頃だと思います。

この頃よく話に出てきたのがご自分のご両親の事で「親たちは英語がうまく話せなくてとても苦労したものです」と言う事でした。親御さん達は英語が話せず「自分たちにカナダの方たちとの話し合いの通訳をさせていた。」現代の日本に来られている南米やアジアの方たちのようです。

また、ご自分の子供たちは日本語を理解はするけれど話すことが出来ないとも言っていました。

彼らの親御さん達は恐らく第二次世界大戦を知っている1世の方たちです。アメリカの1世、2世の方たちの戦争時代のご苦労は歴史にも分かっておりますがカナダでは聞いたことが有りません。でも、私自身が住んでいる時に「戦争は日本人が悪い!」と言われたことを考えてもこの当時戦争はそんなに遠くに過ぎ去った物では無かったのかもしれません。

しかし、ピンチャクリークのお父さんに聞いたことが有ります「うちの会社は日本の人たちが大きくしたようなものです。勤勉な彼らが居たから会社は大きくなりました。」と。この話を聞いた時は本当に誇らしかったです。

この当時カナダでは既にシニアシチズン用のアパートや家は存在しておりました。日本ではおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に住むことが当然でしたので特別彼ら用の場所は存在しませんでした。

20年ほど前にシアトルに在ります日系人用シニアハウスを訪れてことがありますが、現在の日本に有ります特別老人ホームの形態を取っておりました。近頃はカナダでも日系人用のホームが増えているようで、カルガリーに住んで居ります知り合いが日本人の留学生を集めて日系人のお年寄りとの交流会を月に何度か開いているようです。これはお年寄りでもほぼ英語しか話すことが出来ないため留学生には英語の勉強、シニアの方たちには楽しい交流会と一石二鳥の会だそうです。