夢を追いかけている私が居る!

 

先日はお料理の事を書きましたが、今日はお洗濯の事を書きます。

カナダに渡った時はご存知の通り大学2年生になる時で、東京で1年間大学生活を送っていました。当時の大学生は殆どが豊かでは有りませんでしたので四畳半のアパートで一人暮らし、少し良くて六畳の部屋でトイレ共同、お風呂は銭湯と言う住まいでした。

もちろん私もこの内の一人で私の場合は三畳の部屋、トイレ共同、風呂は銭湯でした。

幅が狭い階段を上がり、アパートの建物のドアーを開けると共同の下駄箱、公衆電話、正面が私の部屋で、入り口の横に一つだけのトイレ、その横に洗濯場所で蛇口が3個付いていました。

もちろん廊下を誰かが歩けば歩く音も聞こえてくるような建物で部屋数は4部屋、一階は大家さんの家で家賃は毎月手渡しでした。

各部屋に50センチ×50センチ程の流し台とコンロ置き場が付いており、半畳の押し入れが有るだけの部屋だけでした。このようなアパートが一般的な物で、学生だけではなく社会人の方たちも住んでいました。

こんな時代にカナダに渡った私は全ての物や事に対して驚きの連続でした。

調理器具、冷蔵庫の大きさ、各家庭に在ります冷凍庫、掃除機、食洗器など。書き出すと限が有りません。その中でも特に驚いたのが流し台に付いている生ごみのデスポーザーです。

これは皆さんが存知だと思いますが、生ごみをみじん切りにして水と一緒に流してしまう器具です。

その次が洗濯機と乾燥機です。当時、日本では洗濯機は二層式で洗濯と脱水は別々に行っておりました。乾燥機は見たことが有りません。

バンフの家は1階がレストランでしたので台所に洗濯機と乾燥機が有りました。食洗器も洗濯機と同じぐらいの大きさでしたので3個並んでいるとどれが洗濯機か分かりませんでした。当時のカナダの洗濯機は洗濯と脱水が同じで今時の日本の洗濯機の形でした。

ピンチャクリークでは一般の一軒家の家庭でしたので地下室に洗濯部屋が有り、洗濯機、乾燥機、大きなアイロン台が設置されているのが一般的でした。アイロンがけは毎回有るわけではありませんのでアイロン台が洗濯物をタタム場所でした。

これは昔と変わってはいませんが洗濯は毎日しません。洗濯をする日は曜日が決まっております。そして洗濯で一番「へ~」と成ったのが外に洗濯ものを干さない事です。

ピンチャクリークの家では裏庭が広いので細いワイヤーが二本右から左に張られており大きなシーツはそのワイヤーに干していました。バンフは大きな庭は有りませんし、これは私の想像ですが国立公園で観光地なので何処の家でも洗濯物を裏庭とは言え干している家は有りませんでした。